三井住友フィナンシャルグループが生成AIに500億円を投じる。うち300億円は『ROI不問』。聞こえはいい。だが私、蛙崎直視はこの『不問』こそが最も危険なシグナルだと見ている。撤退基準を先に引いた経営判断は称賛に値するが、ROIを放棄した投資は組織の規律を蝕む。今夜、誰も指摘しない『不問の代償』を語る。

何が起きたか

SMBCグループが生成AI活用に500億円規模の投資計画を発表した。うち300億円は投資対効果(ROI)を問わない新規事業育成枠として確保される。同社は個人向け統合金融サービス「Olive」、中小企業向け「Trunk」を立ち上げ、スマホ完結型の銀行業務を成長軌道に乗せている。アプリ対応で10年前は他行に出遅れた堅実なメガバンクが、なぜ攻めの組織に転換できたのか。鍵は「撤退の作法」だと同社は言う。具体的には、(1)ROI不問の300億円枠、(2)始める基準ではなく撤退基準を先に設計、(3)既存本業から切り離した別動隊の組成、の3点である。アプリ事業を一気に立ち上げた実績が、この方法論の正当性を裏づける、というのが公式ストーリーだ。だが、この美談には三つの落とし穴が潜んでいる。

なぜこのニュースが重要か

なぜ「ROI不問の300億円」が重要なのか。それは日本のメガバンクが、ついに「測れないものに金を出す」という覚悟を見せた瞬間だからだ。従来、邦銀はROIという定量指標で稟議を縛り、結果として不確実性の高いデジタル領域で米中フィンテックに完敗してきた。SMBCの今回の決断は、その反省の上に立つ。ここまでは正しい。問題はその先だ。「ROI不問」は経営判断としては勇気だが、現場の規律としては毒になりうる。300億円という巨額の『説明不要枠』が走り出した瞬間、社内には『これはROI不問案件です』と言えば通る、という新たな抜け道が生まれる。生成AIブームに乗じた玉石混交のPoCが、撤退基準というセーフティネットを過信して量産される構図だ。撤退基準は事後の損切りには効くが、事前の質の悪い起案を抑止しない。500億円の半分以上が「測らない」運用に流れる以上、これは銀行業界の規律実験であり、失敗すれば「やはり邦銀にデジタルは無理」という逆神話を強化する。重みはそこにある。

過剰評価への反論

メディアは「撤退の作法こそ神髄」と持ち上げる。だが冷静に見れば、これは新しくも何ともない。シリコンバレーのVCが30年前から実践してきた「Fail Fast」の輸入版に過ぎず、SMBCがようやくキャッチアップしたという話だ。それを「日本的経営の進化」と称賛するのは、ハードルを下げすぎている。さらに私が引っかかるのは、Olive成功の再現性だ。Oliveは個人の口座・カード・証券・保険を束ねる『既存顧客基盤の再パッケージ』であり、ゼロからの新規事業ではない。1億人規模の顧客基盤を持つメガバンクだから成立した話を、ROI不問の方法論の手柄に帰すのは因果が逆だ。Trunkに至っては、メガバンクが中小企業向けスマホ銀行で先行する地銀・ネット銀に対し、本当に差別化できるのか、現時点で証明されていない。そして最大の論点。ROI不問枠は『失敗の数を増やす』装置であって、『成功の確度を上げる』装置ではない。生成AI領域で本当に必要なのは、撤退基準より「PMF(プロダクトマーケットフィット)の検証基準」のはずだ。撤退の作法を語る前に、参入の作法を語れ、と私は言いたい。500億円は、賞賛より監視に値する金額だ。

経営者として次に取るべき動き

第一に、自社の新規事業稟議から『ROIだけ』の縛りを外す勇気を持て。ただしSMBCを丸ごと真似るのではなく、『定量ROI』と『戦略ROI(顧客学習・組織能力獲得)』の二軸で評価する仕組みに置き換えるべきだ。不問にするのではなく、評価軸を増やすのが筋である。第二に、撤退基準を起案時に必ず書かせる運用を導入せよ。『何が起きたら3カ月で畳むか』をKPI・期限・責任者付きで明文化する。これだけで失敗コストは半減する。コストは数字で約束させろ。第三に、別動隊を作るなら『本業からの人事評価軸』を完全に切り離せ。SMBCの成功要因の本質はROI不問ではなく、出向者が本流に戻った時に評価で報われる設計にある。ここを設計せずに別動隊だけ作れば、それは島流しだ。500億円を持たない我々にこそ、この三点は効く。